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てすと

山登り中に考えること

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急に思い立って、や、なんでもいいから変化が欲しくなって、富士山に登ろうと登山用具を揃えた。のは半年以上も前の話で、結局富士山に登ることはなく時間だけが過ぎてた。

 

自分なりに思い切って足を踏み出そうとしたけど結局何もできんかった…

と思ってたんやけど、そんなことなかったのだった。

 


ひょんなことから知人にその事を話すと、よく山に登るから連れてったる!と。

半歩でもいいし心が動くだけでもいい。その時点で自分はもう進んでるもんなんかな。

 

 

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誰かを否定したり貶したりする事で、自分の不安や劣等感を無くそうとする姿は見ているだけで悲しいけれど、

 


見た目や言動が怖いと思われる人でも、内に秘めた弱さや悲しさがあって、そんな人が見せるそんな姿こそありのままで素晴らしいと感じたりもする。

 

 

 

全てのものごとに目的や意味を持たせ、利潤ばかり考えた合理性だけを考えた世界の中で生きる人たち。その割に、生きることの意義や意味を教えてくれるものも、考えることもしない人が殆どで、そうやってある意味で酩酊状態で生きていくそして死ぬ。

 


人生を見つめ、何か意義や意味を持たせようとすることは辛い。

 


特に生きることの意味なんて考えだすと、この社会をまともに生きて行くことは困難。

 


だからみんな程よく心の違和感を誤魔化して、忙しくして毎日を過ごしてる。

それって本当に生きて行くことなのだろうか。

 

 

 

事故で全身が不自由になった若者の話を聞いた。

 


同じマンションに住んでいた人らしい。当たり前ではないこと、全てのものに限りがあるということ。

そんなことを実感として思う。

 


今自分が思うこと感じること。限りあるときをどう生きていくのか。

 


飛ぶ鳥の自由な姿、あの鳥はあの鳥の花を目一杯咲かせている。それは決して僕に見せつける為ではなく、あの鳥が咲かせたいからそうしているだけ、そしてそれが美しく高貴であると思う。

 


小さな子どもの姿を見て思う。周りや社会を意識するほどに、その子どもは悲しい顔になることやってある。

 


山を登りながらんなことで頭の中がいっぱいであった。