子供の頃 憧れていたオトナ
たまーに出会う音楽を全く聴くことがない人。
そんな人もいるんやなぁ色んな人がおるんやなぁと思う。
自分が震えるほど心動かされることに、これっぽっちも何も感じん人がほとんどなわけで、それはまた逆から見たら同じことであり、世界は広いし人間は多い。
音楽は曖昧に、そんでいて掴みきれんものを伝えれます。
絵を描こうとしても、なんやら誰かの絵になってしまうような気がする。から手が止まる。
んなもん売れればええやん、と割り切れればええのですが、それやったらどっかの工場で働いていることと何が違う?と思う。
体裁はカッコよくしたとしても心の中にいっぱいになった暗い色々が溜まってゆくのです。
最近テレビを見るんがしんどい。元気いっぱいの、ボケやのツッコミやの…
そんな人たちが話してるのを見るんがしんどい。
なんか全てが、みんなが、嘘に思えてしまうのである。
色んな意見や世界に溢れる色んなものに動かされてホンマはそんなことしたないんちゃん?って。
なんでそんなことするん、って思う。
んなこと考えることが、おかしいのは分かってるけど 、ちゃんと自分の気持ちに向き合わなアカンとも思う。
うやむやにした感情を持ったまま生きていくと、いろんなとこで失敗し続ける。
頭では分かってても、遅刻する。
誰かを傷つけるんは悲しい。こんなんやったら始まらんかったらよかったって思うんはもう嫌です、なにを誰を何のためにやるん?
ただ花が咲き散るように、って誰の歌詞、絵画やイラストで自分が思う美しさを追求していこうと思った。
それ以外にやることがないように思う、今んところはそれでやってこうと思ってる。
難しいようで簡単なようで、でもたとえそれが実現せんくても、何も失うもんは無いのよなぁ。それやのにちょっと怖さもまだある。
大人たちの殆どは目が死んでた、なんか分からんけど諦めた感じが子どもの俺には伝わった、絵が大好きな先生は、背景が描けないから絵の道は諦めたって言うてたけど、その目はすっごく悲しそうやった、大人になるってのは色んなものを諦めることなんかな、って。
「大人」はほかにもいっぱいおったけど、だいたい「大人は」理解できんことも「決まってる」からって受け入れ受け流す。それが納得できんかった小さな自分。
ふわふわとしてて、傷は無いけど血を流すことはないけど、無機質に生きる、そんな風に俺の目には映った。
うまく言えんけど、それが自分には悲しくて、自分はもっと違う何かになろう。と。
自分が求めていたような見たかった人間になろうって。
時間たって色んな人を見るうちにあぁこうでありたいなぁと思う人もけっこう世界にはいてて。
数は多くないけど それでもひとりじゃないし、誰かがどこかで同じ星を見てるんやと思ったら頑張れる。
まぁ人の数だけ生き方があるから、自分の考えを押し付けるんはあれです。