マイケル・サンデル それをお金で買いますか|星新一と広告社会
「市場」の価値観が生活のあらゆる場面に入ってきている。
アメリカの大リーグでは、球場の名前、ホームランの名前、ホームベースにスライディングセーフした時にアナウンサーが話す宣伝フレーズ、商業化されたスターのサインやグッズ、市町村の名前や駅名、トイレの広告、学校への提供教材を通じて行われる企業の広告宣伝。
マクドナルドのロゴ入りの通知表。スニッカーズを使った演算の仕方を教える教材。
テレビ機材を無料で配布する代わりに、2分間テレビcmを必ず子供たちに見させることを義務付けさせる。
子供たちは教室から出ていくことも、携帯を見ることもできない、絶対見させる広告の威力たるや。
パトカーの広告貼り、家の壁に企業の看板をペンキ塗りすることで得られる広告利益。
ギャンブルで人の死をかけるゲーム。
保険を必要としなくなった老人(余命わずか)の保険を買い取り、残りの保険料を払い続け、本人の死によって得られる保険金で利益を得る。
また、住宅ローンのように、それをめぐる投機が始まる。
星新一のショートショートで、近未来で起こる広告による腐敗を描いた作品があった。
人々は企業と契約し、脳内に埋められたチップによって、日常の決められた状況において、広告フレーズを発するようにプログラムする。
例えば、ありがとうと感謝するたびに「ありがとう、感謝の気持ちは◯◯ショップで」などと、契約した企業スポンサーを本人が宣伝し、それにより本人は広告収益を得る、という物語であった。
そんな時代も遠くないなぁと楽しく読んだ物語であったけれど、そのような広告世界はすでに始まっていることを知る。
コンビニに入ると、レジの横に小さな画面が表示される。
通されたバーコードによって、然るべき広告が表示されているのだと思う。
またレジ係が打つ年齢性別の情報によっても操作させるのか。
市場取引の全てがデジタル化されると、個人へ向けた的確な広告を打ちやすくなる。
スマホ決算され残されたデータから、その人へ一番効果の見込める広告が表示される。
またその広告がどれだけの効果を示したのかもデータ化され、
蓄積するほどにその効力は増していく。
電車のつり革をミスタードーナツで販売されるドーナツのプラスチックサンプルにしたり、買い物をするたびに手渡されるクーポン券という名の広告。
ウェブ上で表示される架空の理想、消費スタイル。
その全ての財源は、広告によって動かされる消費者によって支払われているのだ。
自家用車を広告にしたり、刺青を額に入れ広告にする例も挙げられていた。
石鹸とロウソクの会社が合併し創られたプロクターアンドギャンブルは、その巧みな広告マーケティングによって世界中で事業を展開し、莫大な利益を上げている。
日本でも番組を持ったりしている。
消耗品を扱う企業の潤沢な利益は莫大な広告予算に繋がる。
アムウェイなどのネットワークビジネスなども日常の消耗品を扱っている。
広告におけるルールとして、消費者に広告ですよと明記することが大切だとされる。
それを広告とし認識し見るのではなく、知らずに見るのは一種の洗脳であるからである。
しかし近年のテレビやドラマなどでは、提供されたものと明記することなくプロダクトプレイスメントが行われている。
ドラマに使われるIT機器や、バライティ番組で紹介される様々な商品。
インターネットにおける広告はそれよりも酷く、ウェブサイトには広告だと明記されていないことが多い。