言葉が取引を悪にするのか
古代の物々交換では、取引中に言葉を話すことが禁止なってた、ってのを本で読んだことがある。
「言葉」の力は特に正義を悪にする。
それを介することで、正当な取引ができんくなるのである。
そのことは、いろんな場面で感じる。
洋服屋で服選んでるときも、訪問販売来たときも。
バリ島に旅行に行ったとき、店に並べられた土産物に置かれてる商品全部に値札ついていなかった。
「ハウマッチ?」って何度も聞いて、「なんぼやったら買う?」とか聞き返されて。
回数を重ねるごとに安くなるのも理解できないし、正当な取引でない気がして疲れまくった記憶。
言葉で言いくるめられんのが怖くて、最近は最初からシャットアウトすることにしてる。
いらんもん買わして経済回してけ、ってそうゆう自分のことだけ考えたことをシレッとやれる人嫌いです。
経済成長まっしぐらの現代。その一方で、これまでのお金の考え方が変わってきてんのかなぁ、とも感じてる。
海外のレストランとかでは、客が値段決めるとことかあるみたいだし。
評価されることと金銭的報酬。クラウドファンディングもそやし、 その物事に対する評価が最終的にお金に繋がると、いうことなのかなぁ。