She reads.

てすと

言葉が取引を悪にするのか

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古代の物々交換では、取引中に言葉を話すことが禁止なってた、ってのを本で読んだことがある。

 

「言葉」の力は特に正義を悪にする。

 

それを介することで、正当な取引ができんくなるのである。

 

そのことは、いろんな場面で感じる。

 

洋服屋で服選んでるときも、訪問販売来たときも。

 

バリ島に旅行に行ったとき、店に並べられた土産物に置かれてる商品全部に値札ついていなかった。

「ハウマッチ?」って何度も聞いて、「なんぼやったら買う?」とか聞き返されて。

 

回数を重ねるごとに安くなるのも理解できないし、正当な取引でない気がして疲れまくった記憶。

 

 

 

言葉で言いくるめられんのが怖くて、最近は最初からシャットアウトすることにしてる。

 

いらんもん買わして経済回してけ、ってそうゆう自分のことだけ考えたことをシレッとやれる人嫌いです。

 


経済成長まっしぐらの現代。その一方で、これまでのお金の考え方が変わってきてんのかなぁ、とも感じてる。

 

海外のレストランとかでは、客が値段決めるとことかあるみたいだし。

評価されることと金銭的報酬。クラウドファンディングもそやし、 その物事に対する評価が最終的にお金に繋がると、いうことなのかなぁ。


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疎遠になってた祖父母と会う

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色々と聞かれることが多そうで、気が乗らんかったけど、結局断りきれずに祖父母と3人で寿司。


「若いもんには、寿司か肉やな」と祖父の格言ちっくなものを挟む絡みに要領よく対応しながら、駅近くの小さな寿司屋に入る。

 


年季の入った大将は、小さい頃に連れてかれていた店で働いていたらしく、祖父母とは顔見知りのようである。
小さい頃の俺とも面識があるんちゃうか、と祖父母が説明すると、大将は優しく微笑みながらこちらをじっと見て「ほぉ」と、全く何も思い出せてない様子であった。

3人でカウンターに並んで座る。

アワビやらなにやら祖母は高級なものばかり頼む。それが妙に心地悪かったが、変わらぬその豪快な振る舞い、まるで自分の店かのような自由さにフラッともした。

 


仕事のこと、プライベートのこと、世代の違う人に理解を強いたり強いられたりするのが億劫やったのだけど、結局特に何を聞かれるわけでもなく、初めて聞く祖父母の昔話に関心したり、「お前とお酒を飲める時がきたかっ!がははは」と祖父の歓喜。のループを何度か行ったり来たりするだけであった。

 

 

ひょんな事には動じることのない強さを持った、2人の瞳が「今日は楽しい話だけしよか、それがええな。」

と語ってるようで、シルバー世代の懐の深さを見くびっていた自分を恥じる…

 


トゲのない優しいおじいさんおばあさん、といった感じのこの日の2人の印象は、小さい頃に持ったそれとは別物であった。


大人同士、対等な関係になって初めて祖父母の等身大の姿を見つめれた気がする。

寿司も美味しかったし、またご馳走になろうっと。

 

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子供の頃 憧れていたオトナ

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たまーに出会う音楽を全く聴くことがない人。

 


そんな人もいるんやなぁ色んな人がおるんやなぁと思う。

自分が震えるほど心動かされることに、これっぽっちも何も感じん人がほとんどなわけで、それはまた逆から見たら同じことであり、世界は広いし人間は多い。

 


音楽は曖昧に、そんでいて掴みきれんものを伝えれます。

 


絵を描こうとしても、なんやら誰かの絵になってしまうような気がする。から手が止まる。

 


んなもん売れればええやん、と割り切れればええのですが、それやったらどっかの工場で働いていることと何が違う?と思う。

体裁はカッコよくしたとしても心の中にいっぱいになった暗い色々が溜まってゆくのです。

 


最近テレビを見るんがしんどい。元気いっぱいの、ボケやのツッコミやの…

 


そんな人たちが話してるのを見るんがしんどい。

 


なんか全てが、みんなが、嘘に思えてしまうのである。

色んな意見や世界に溢れる色んなものに動かされてホンマはそんなことしたないんちゃん?って。

なんでそんなことするん、って思う。

んなこと考えることが、おかしいのは分かってるけど 、ちゃんと自分の気持ちに向き合わなアカンとも思う。

うやむやにした感情を持ったまま生きていくと、いろんなとこで失敗し続ける。

頭では分かってても、遅刻する。

誰かを傷つけるんは悲しい。こんなんやったら始まらんかったらよかったって思うんはもう嫌です、なにを誰を何のためにやるん?

 


ただ花が咲き散るように、って誰の歌詞、絵画やイラストで自分が思う美しさを追求していこうと思った。

 


それ以外にやることがないように思う、今んところはそれでやってこうと思ってる。

 


難しいようで簡単なようで、でもたとえそれが実現せんくても、何も失うもんは無いのよなぁ。それやのにちょっと怖さもまだある。

 


大人たちの殆どは目が死んでた、なんか分からんけど諦めた感じが子どもの俺には伝わった、絵が大好きな先生は、背景が描けないから絵の道は諦めたって言うてたけど、その目はすっごく悲しそうやった、大人になるってのは色んなものを諦めることなんかな、って。

 


「大人」はほかにもいっぱいおったけど、だいたい「大人は」理解できんことも「決まってる」からって受け入れ受け流す。それが納得できんかった小さな自分。

ふわふわとしてて、傷は無いけど血を流すことはないけど、無機質に生きる、そんな風に俺の目には映った。

 


うまく言えんけど、それが自分には悲しくて、自分はもっと違う何かになろう。と。

自分が求めていたような見たかった人間になろうって。

時間たって色んな人を見るうちにあぁこうでありたいなぁと思う人もけっこう世界にはいてて。

数は多くないけど それでもひとりじゃないし、誰かがどこかで同じ星を見てるんやと思ったら頑張れる。

 


まぁ人の数だけ生き方があるから、自分の考えを押し付けるんはあれです。